出力トランスの低域特性は、その1次インダクタンスの大きさに左右されます。1次インダクタンスが高ければ 100Hz 以下の信号でも減衰しにくくなり、低域周波数の再生能力に優れたアンプとなります。その1次インダクタンスの足を引っ張るのが「直流磁化」と呼ばれる現象で、トランスの巻き線に直流電流を流すことによってトランスのコアが磁化されてしまうことが1次インダクタンスの低下を招きます。直流電流が大きくなるにつれ1次インダクタンスも減少します。
この直流磁化の問題を根本的に解決してしまうのがプッシュプル出力トランスです。1次側巻き線に流れる2つのプレート電流がお互いにコアの磁化を打ち消すように作用するため、直流磁化の問題が起きません。ただしプレート電流にアンバランスが生じていれば、その差分の直流電流によってコアの直流磁化が起きてしまうため、1次インピーダンスの低下を招き低域特性が劣化してしまいます。
……といった内容をぺるけさんの「低域の設計・高域の設計」の内容から要約しました。その本文中には『プッシュプル用出力トランスの低域特性はプレート電流値のアンバランスに対して非常にデリケートで、許容値付近ではすでに相当に劣化していると思ってください』とも書かれています。そういう背景もあって、全段差動ベーシックアンプではアンバランスが 0.2mA 未満、6N6P 全段差動 PP ミニワッターでも 0.6mA (プレート電流の約3%) 未満で調整するように指示があります。
では実際のところ、出力段の DC バランスが崩れたらアンプの特性はどうなるのでしょうか。ネットで探しても誰も実験した形跡がなかったので、試してみることにしました。(そもそも、音が悪くなる実験なんぞ、誰もやりたがらないよなぁ……)
(本機で使用した出力トランス)
本機に使用したのは旧 ISO の TANGO FE-25-8 です。以下にそのスペックを記載します。
出力 | 25W/50Hz |
周波数特性 | 10Hz~50kHz (-1dB、入力4V、2rp=Zp) |
1次インダクタンス | 1mW時130mA、最大280H … 50Hz |
1次許容DC電流 | 2本分130mA、アンパラ分7mA |
電力損失 (16Ω) | 0.30dB (16Ω) |
1次巻き線抵抗 (20℃) | 285Ω |
(歪み率)
まずは出力段の DC アンバランスを変えながら周波数特性に差が出ないかを確認してみたのですが、いくらアンバランス電流を変化させても 100Hz 以下の低域で差が見られませんでした。どうやら、アンバランス電流による影響は周波数特性に現れないようです。
周波数特性ではなく別の特性で差がつくのではないか。そう考えながらぺるけさんのサイトを見ていたら、「シングルかプッシュプルか」のページに「(低域特性が不利な)シングルアンプでは超低域の信号波形が崩れていまう」という趣旨の記述がありました。ということは、超低域の歪み率はアンバランス電流の増加に従って悪化するはず、ということで測定してみたら違いがハッキリ出てきました。
下図のデータは 50Hz および 30Hz でデータ取りしたものです。ざっと見た限りでは、本機ではアンバランス電流が 0mA のときと 3mA のときとで低域の歪み率に目立った差がないので、バイアス調整の精度としては 10mV (3mA) 以内に収まる程度で問題なさそうにも思えます。もっともこれは本機において言えることであって、全段差動 PP ミニワッターなどで同様のことが言えるかどうかは実機でデータ取りしてみないと何とも言えません。その点については、他のアンプビルダーの方々による検証に委ねたいと思います。
(測定環境)Windows 10 Pro, WaveSpectra 1.51, USB Audio Device 96kHz 24bit, WASAPI Driver
下図は出力段の DC アンバランスを変化させたときの Wave Spectra のスクリーンショットを撮ったものです。Wave Spectra の画面を確認しながら DC アンバランスを増やしていくと、画面上側 に表示されている波形の下側が(見た目では僅かですが)崩れていくとともに、画面下側に表示されているスペクトル分布にある 60Hz のピークが持ち上がっていくのがはっきりと分かります。