若木式光線療法 (阪神 西宮) 【民間療法】

光線療法研究所

 民間療法は世に山ほどありますが、若木式光線療法 以上に劇的なものを私は見たことがありません。
「寝たきりだった老人が、シャンシャンと歩いて帰っていった」 という伝説がございます。
私も、歩くのがやっとだった老婦人が杖を忘れて帰っていった現場を目撃したことがあるので、
この伝説は決して偽りではないと思います。

 私が、若木式光線療法とのご縁を頂いたのは 2000 年の頃です。
父が手の施しようのない小細胞肺癌に冒されていたことが分かった丁度そのときに、得意先の方から教えていただきました。
コロコロ変わる入院先の病院の治療方針に納得できなかったこともあり、病院嫌いの父は即日退院することに。
しかし、進行した小細胞肺癌は まず助からないという現実には抗うことができず、父は自宅で2ヶ月間の闘病生活を送った末に
この世を去りました。最期の時まで家族と共に自宅で過ごすことができたのが、せめてもの救いだったでしょうか。
残念な結果になりましたが、2ヶ月のあいだ研究所の中をいろいろ見渡しているうちに ここの光線療法は本物ではないかと
いう思いを強く抱くようになりました。山のように積まれた感謝の手紙が、そのことを雄弁に物語っているようでした。
事実、その後 私も若木式光線療法で十年来患っていた原因不明の胃痛をここで治しました。

 そういう経緯もあって、私と若木式光線療法とは切っても切れない関係にあります。
多少贔屓目な表現があるかもしれませんが、以下に若木式光線療法とは何かを簡単にまとめたいと思います。


 光線療法とは

 光線療法は、カーボンアーク灯から発せられる光線を人体に直接照射する治療方法です。
デンマークのニールス・フィンセン(Niels Ryberg Finsen)博士が、カーボンアーク灯を用いて
天然痘治療(1893)や皮膚結核治療(1895)を行ったのが始まりで、その後フィンセンは狼瘡の光線治療法の
研究によりノーベル生理学・医学賞を受賞しております(1903)。
その後、抗生物質ペニシリンが発見されたことで光線療法は急速に衰退してしまいます。
ですが、日本では少数の民間人によって光線療法の研究・治療が細々と続けられておりました。
黒田光線は その代表的なもので、球状の形をした治療器が鍼灸院などに
置かれているのを しばしば目にします。

 若木式光線療法は、先師 若木 輝男 先生がその半生をかけて独自に研究を重ねたことにより
生まれた光線療法で、従来の光線療法とは考え方が全く異なるものです。


 若木式光線療法の特徴

★ 利き腕照射療法

 慢性症状の治療では、右利きの人は右肩に、左利きの人は両方の肩に光線を照射します。
体の悪い部位ではなく、右肩に集中的に照射した方が良い臨床結果が得られることが経験的に分かっているのです。
先師は、「右肩照射が基本で、それ以外の場所への照射は補助に過ぎない」ということを口が酸っぱくなるほど言っておられました。
(火傷などの急性症状については、患部への直接照射が基本です)

 その理由について、先師は右肩にリンパ腺の本管があるので そこに光線を当てることで全身のリンパの循環が
良くなるからではないか、心臓近くにある胸腺に光線が当たることによって体全体の免疫機構が活性化されるのでは
ないか、という仮説を立てておられました。
 実際、ポイントを狙って上手く光線を当ててやりますと 体の中にあるスイッチが入った ような感覚を経験いたします。
具体的に言いますと、「体の中から何かが頭の方へスーッを上がっていって、頭の中にあるスイッチが入った後、
また何かが頭から体の方へスーッと下りていく」ような感覚です。スイッチが入った状態になると、光線を当てることに
よって出る体の反応の出方がよくなるのです。この「スイッチが入るような感覚」は、私だけでなく(全員ではありませんが)
若木光線をやっておられる他の方も経験しておられます。

 また、光線を右肩に当て続けていますと、体の悪いところに血液が集まってくるような感覚を経験し、その状態から様々な反応が出ます。
例えば、胃に悪いところがある場合は、胃袋をギュギュッと締め付け続けるような感覚が続きます。
肺の奥に血痰が溜まっていた場合には、肺の奥から痰を絞り出すような せき が続けて出ます。
病名がはっきり分かっていなくても、光線を当てれば自分の体のどこが悪いのか感覚的に分かる、その反応の強さで
自分の体の具合の悪さが分かる、というところが若木式光線療法が他の民間療法とは決定的に異なるところです。

 右肩照射による効果は医学的に立証されたものではないのですが(Wakaki-hypothesis とでも呼ぶべきでしょうか)、
光線を当てることによる差異がはっきり感じられるものですので、いずれ医学の手によって解明されることを願っております。

 参考までに上述のポイントの狙い方を書いておきますと、右肩肩甲骨の内側すぐのあたりから光線を放り込んで、
体の中心に入射光が届くように光線の向きをセットする、光線の上下方向の向きはやや下向き、というのが私の経験上の方法です。
ただし、光線の向きや照射箇所が少しずれるとポイントを外れてしまうため、慣れるまでにコツがいります。
若木式光線療法の魂とも言うべき内容ですので、これについては追って詳しく説明したいと思います。
ただし、この右肩照射法は若木式光線療法独自の光線治療器およびカーボンでなければ効果が出ないと思われます。

 余談になりますが、先師は晩年に 首にも強力なポイントがあるのを見つけた、ということも語っておられました。
それが具体的にどの箇所になるのかまでは聞いていなかったのですが(ひょっとすると星状神経節のことかもしれませんが)、
いずれ検証しなければならないな と思っております。


★ 光線治療器「バリブル」

光線治療器「バリブル」ポータブル版

 若木式光線療法は、治療器も従来のものとは ちょっと違います。
従来の光線治療器は丸型でしたが、若木式光線療法のそれは箱型です。その方が治療効果が高かったからです。
さらに、重量も軽いため持ち運びも容易です。
(ただし、電流を安定させるためにトランスの併用を推奨します)

 上の写真は、旅行・出張用のための特別に作ってもらったポータブルサイズの特注品です。
(形状の違いはありますが、ポータブルサイズのものは私のものも含めて地球上には3台しかなかったような……
 1台は先師が保有していたもので、もう1台は音楽家さん?が持っていると聞いています)
標準的な光線治療器は、これよりも2回りほど大きいです。


★ ハイパワーカーボン

バリブルカーボン

 若木式光線療法は、使用するカーボンも違います。
まず、カーボンの太さが違います。9.2mm にすることで高出力を狙っています。普通の医療用カーボンは 7~8 mm くらい。

 また、他社の医療用カーボンは光線の色によって何種類かのカーボンを使い分けますが、若木式では1種類のカーボンの
組み合わせしか使いません。1種類だけで十分なのです。
カーボン燃焼時の写真を見ていただければ分かる通り、若木式光線療法のカーボンでは橙色、つまり赤色と黄色の光線が
多く出るようになっています。赤色は 最も体の奥深くまで届く色、黄色は 最も治療効果の高い色。
体の深部にまでしっかり浸透し効果を発揮できるように、カーボンの組成を独自にカスタマイズしているわけです。
光線のパワーも強力で、水ぶくれができるような火傷も 30 分程度光線を当て続けていれば、かさぶたになって治ってしまいます。
私自身、半田ごてで火傷したときに何度お世話になったことか数え切れず。

 注意事項として、皮膚が光線に慣れていない状態で いきなり光線を長時間(30分以上)照射すると、
照射後(半日~1日経過後)に皮膚がヒリヒリする、場合によっては水ぶくれができるといった症状を起こすことがあります。
そのような場合には、キダチアロエやノニ、馬油などを その場所に塗布するといいです。
長時間照射できるようになるためには、少しずつ光線を当てる時間を延ばしながら皮膚を慣れさせる必要があります。
慣れてきたら、皮膚の色が褐色っぽい色になります。光線を当てるのを止めれば、皮膚の色はまた元に戻っていきます。
また、このカーボンは光線治療器「バリブル」専用であるため、他社の光線治療器では使えません。


 そのほか

 若木式光線療法で身体を治した経験をしますと、光線治療器が手放せなくなります。
光線を当てれば良くなるということを、身体が覚え込んでしまうんですね。
ですから、身体の調子が良くなって光線をあてるのをやめてしまい光線治療器を仕舞いこんだとしても、
また身体の具合が悪くなると物置から光線治療器を引っ張り出す羽目になります(笑)
そして、光線の照射時間が足りないと、身体が「もっと光線を当てなきゃ」と言ってきます。
ますます光線治療器が手放せなくなります。

 若木式光線療法の欠点を敢えて書くとすると、時間がかかる、とてもお手軽とは言えないということです。
効果を引き出そうと思ったら、毎日2時間くらいの照射が必要でしょう。
先師も、「毎日1時間と2時間とでは、効果が全然違う」と言っておられましたし、ご自身も毎日2時間照射を日課として
おられたように記憶しております。重病の場合には、それこそ「寝る暇を惜しんで」照射しなければなりません。
また、肩に照射中している間に、手にものを持ったりとかしますと肩に余計な力が入ってしまっても効果が目減りします。
光線照射中は、フリーハンドでなければならないのです。
さらに、痛みを伴うような激しい反応が出た場合には、その反応が収まるまで 痛みが抜けるまで、照射を続けなければならない。
とにかく、必要なものは忍耐です。先師も、「女の人の方が根気強く続けるので、治癒に繋がりやすい」と言っておられたような。

 初めて先師にお会いしたとき、実際の年齢よりも10歳くらい若く見えたことは今でも鮮明に覚えております。
その先師自身は 100 歳を目指すと豪語しておられたのですが、残念ながら2009年にお亡くなりになりました。
豪放磊落、とにかくお酒が大好きな方でしたので、それが響いてしまったのだと思います。
それでもなお、若木光線を愛用し続ける人は あちこちにおられます。
現在は、弟さんが事業を引き継いでおられます。


 今までお世話になりっぱなしだったので、どこかで恩返しせねば。ずっと、そう思い続けています。


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